静かな部屋の中に、パソコンのキーボードを叩く音が響く。

窓の外はすでに暗く、ちらちらと雪が舞っている。

しかし、時期柄か、周りの家々はチカチカと瞬くライトで家や庭を飾り立てていて、にぎやかな声がどことなく聞こえてくるようだ。

「はぁ…」

思わずため息が漏れる。

なにが悲しくてクリスマスまで仕事をしなくてはいけないのか…。

それもこれも一応は同居人となっている、マスターことヴァンパイアの真祖、ジョニー=レイフロのせいとしか言いようがない。

彼が隷属を増やしたせいで(たとえ間接的であっても)、自分の仕事が増えていくのだ。

(といいつつも、彼がいなければ私は今ここに居ないのだけど。)

その当の本人はというと、男2人でなにが楽しいのか、クリスマスにはやはりケーキだといって、夜を待って出かけていった。

一般的に十字架が苦手だといわれるヴァンパイアが、その十字架を広める元となったキリストの誕生日を祝うなんて聞いたことがない。







カチャリ…

控えめに玄関のドアを開く音がする。

身体の多くの部分をサーボーグ化したおかげか、小さな音を聞き分けることは造作もなくなった。

いつもはただいまと派手に帰ってくるのだが、そうしないのは私を驚かそうとでも思っているからだろうか。

廊下をそろそろと歩く、(普通の人間では聞こえないような)小さな音が聞こえる。



ヴァチカンへと送る報告書も大体が仕上がっている。

そして、マスターが拗ねるとめんどくさいということも、長年の経験で分かりきっている。

「しょうがない…。」

そう呟くと、パソコンの電源を落として、マスターを迎えるために立ち上がった。



戦争のせいで失った両親との記憶はほとんどなく、マスターに預けられた修道院での行事も、

本物の家族でやるような温かさを感じることはできず、どことなく味気ないものだった。

もちろんマスターと再会したあとも紆余曲折色々とあったのだが、

それを経て自分にとってはたった一人の家族といっても過言でない彼と特別な日をともに祝えるということは、

たとえそれが数十回と繰り返されていることだとしても、自然と温かい気持ちになる。

もちろん表情に出したり(ましてや言葉に出したり)はしないのだが…。







ところが予想に反して、足音は私の部屋に到達する前に違う方向へと曲がっていった。

そこはリビングのはずだ…。

明らかに怪しいマスターの行動。

部屋を出て、その少し先にあるリビングへそっと近づくと、テーブルの上にちょうどケーキの箱を置いたあとなのか、

こちらへ背を向けるようにして立っていたマスターに声をかけた。

「マスター?帰ったんですか?」

「…っ!!」

たいして大きな声を出したわけでもないのに、マスターの肩がびくりと大きく跳ねる。

そして、油の切れたブリキのおもちゃが動くような擬音がぴったりな動きで、ギクシャクとこちらを振り返った。

…怪しい。 何か隠しているのは一目瞭然だ。

しかも、疑ってくださいというのも同然のような態度で、「た、ただいま!!」なんて白々しく言ってみせる。

少しだけ睨むようにすると、誤魔化そうとしてか、いやー外は寒いなぁ、などとぶつぶつ呟きはじめた。

いったい何年、いや何十年あなたの近くにいたと思ってるんですか?

見抜けないほうがおかしい、というよりも、バレないと思うほうがおかしい。

「…マスター。何か隠し事ですか?」

にっこりと笑いながらも、怒りのオーラを放つ。

それを感じ取ったのか、マスターの顔色がさっと青くなっていった…。



妙なところだけ器用なマスターのことだ。

本当に私に秘密にしたいのであれば、それこそ完璧に隠し通すことくらいできるだろう。

それをしないということは、それほど重要な隠し事ではない、そういうことだ。

そして、そういった場合は概して面倒ごとの確率が高い。

案の定、マスターのジャケットの前は不自然に膨れている。

記憶にある限り、マスターはあんなに緩んだ体型ではなかったはずだ。

中身の特定はできないが、なかに何か入っているのは確実だろう。

青くなったままなにも言わないマスターに、追い討ちをかけるように「マスター?」と声をかけと、

無言の重圧に耐えられなくなったのか、ようやく彼が声を発した。

「や、やだなあ、チェリー!

 俺たちの間に隠し事なんてあるわけな…って、こら!出てくるな…!!」

わざとらしい言い訳の最中に、マスターのジャケットの膨れていたところがもぞもぞと動き出す。

思っていた通りなにかがそこに入っているらしい。

…が、生き物だとはさすがに予想していなかった。



そこから出てきたのは、ややくすんだ黄金色の毛を持った、やせ細った小さな猫だった。

私からその猫を隠そうとわたわたと慌てるマスターを尻目に、猫はジャケットの前からちょこんと顔を覗かせている。

今すぐにも折れてしまいそうなほど痩せているのに、元気だけはいいのかニャーニャーと鳴いているのを見て、

マスターも隠し通すのは無理だと判断したのか、小さく息を吐き出すと猫をそこから取り出した。

猫は早速はマスターに懐いているようで、腕の中でも暴れることなく大人しく抱かれている。

マスターがいつもよりも潤ませた目(中年男がそんなことをしても気持ち悪いだけだ)をしてこちらを見てくる。

「チェ「元に戻してきなさい。」

「…。」

マスターがなにか言おうとしたのをさえぎるようにそういうと、

とたんに小さな子供のようにマスターが拗ねたのが手に取るように分かる。

「元に戻してきなさい。」

先程よりも少し強い語調で言うと、

「良いだろ、俺がちゃんと面倒見るから。」

と、なんともむかつく返事が返ってきた。

まるで捨て猫を拾ってきた子供が親が叱られたときに言うような屁理屈だ。

「…マスター。

 だいたいもうすでに2匹もペット(?)がいるじゃないですか!」

  そう、我が家には私の愛犬サクラとマスターのメイドのネコがすでにいるのだ。

わざわざ猫を拾ってくる必要はない。

ましてや、かわいそうだからといって飼えもしない捨て猫を拾ってくるような歳でもないだろう。



マスターが大きく溜息をついた。

先程までの拗ねたような雰囲気は消えて、かわりに腕の中の猫をいとおしむような空気がにじみ出ている。

「俺だって、最初は拾ってくるつもりなんかなかったんだ…。」

マスターが、抱きかかえた猫の頭を優しい手つきで撫でながらぼそりと呟いた。

マスターの撫でる手に応えるように、猫が気持ちよさそうに鳴く。

まるで一枚の絵画かなにかのような光景だ。



…なぜだかそんなマスターの姿に無性にイライラした。

今までに見たことのないようなマスターの姿、疎外感、…。

「じゃあいいでしょう?」

そんな自分のごちゃごちゃとした感情を誤魔化すように、わざと冷酷な声を出した。

そして、くすんだ黄金色の猫を彼の腕から取り上げようと手を伸ばす。

自分に向かって伸びてきた手から悪意を感じたのか、とたんに猫が威嚇するようにフーッと毛を逆立てた。

マスターも慌てて私の手を掴み、必死に弁明を始める。

「わわわっ!!待ってって!

 ・・・だって、




















今日はクリスマスだ。

お誂え向きにちらちらと雪まで舞い始める。

この調子じゃぁ、世の恋人たちは大喜びだろうな。



クリスマスも、もう何回繰り返しただろうか…。

数えることはとっくの昔に止めてしまった。

しかし、クリスと過ごしたクリスマスだけは、数十回と繰り返しているが全て覚えている。

特に初めて一緒に祝ったクリスマスは、殊更鮮明に記憶に残っている。

ケーキの箱を空けた瞬間の、クリスの驚きと喜びが混じった表情…。

再会したときには、もうすでに彼はクリスマスーケーキ如きで喜ぶような歳ではなかったが、

思わず、といった感じでこぼれた笑みに、それこそ思わず見蕩れてしまった。

それ以来、その笑顔が見たくて毎年クリスマスにはケーキを買うことにしている。



だが最近は耐性が付いてきたのか、なかなか笑ってくれない…。

嫌がっているわけではないのは(隠しきれていないので)分かるのだが、やっぱり笑顔が見たいと思ってしまう。

しかし、それでも甘いものは好きではないはずなのに、クリスマスケーキだけは(たくさん食べるわけではないが)素直に口へと運ぶ。

やっぱり、クリスマスケーキを買うのは止められそうにない。







暗くなって雪が舞う大通りを、ケーキ屋に向かって早足で歩く。

寒さにはやはり勝てない。

こんなに寒い中を幸せそうな顔をして歩くたくさんのカップルたちの間を縫うようにして、

きっと外よりはいくらか暖かいであろう目的地へと急いだ。



通りに面している店内から、柔らかな光が漏れている。

そっと扉を押すと、カランコロンとベルの昔ながらの軽い音が店内に響いた。

一歩中に足を踏み入れると、甘い匂いでそこは充満している。

うん、幸せの匂いだ。



洋菓子店には、俺のほかにカップルと、一生懸命ショーウィンドウを覗いてケーキを決めている子供を連れた家族連れが一組。

ヴァンパイアという生き方を選択した者の運命で、同じ店に通い続けることはできないので、数年周期でケーキを買う店を変えている。

今回はアットホームな感じの小さな店なので、それだけで店内は一杯だ。



毎年恒例となっているショートケーキを二つ頼むと、クリスの喜ぶ顔を思い出して自然と表情が緩んでしまう。

それを見られていたのか、ケーキを箱に詰めていた店員にクスリと笑われた。

恥ずかしい思いをしながらケーキを受け取ると、いたたまれなくなってすばやく店を出た。



外と店内の温度差に思わず身体が震える。

雪は相変わらず静かに舞っていて、吐いた息は白くなって消えていく。

冷たい風がふいて、一気に体温を奪っていく。

コートの襟を引き寄せると、ケーキを崩してしまわないように気を付けながら、いとしいクリスの待つ我が家へ向かって歩き出した。







今住んでいるアパートへは、大通りから一本奥へ入らないといけない。

よって、アパートに近づくにつれて、人気は格段に少なくなる。

静かになった空間に、サクサクと雪を踏みしめる自分の足音だけが響く。



アパートまであと数百メートルのところだった。

ぽつぽつと間隔をあけて灯る街灯の下で、なにか小さなものが動いているのが見えた。

街頭の下まで近づいていってよく見ると、そこには小さな猫が寒さから身を守るように丸くなってうずくまっている。

小麦色に見える毛は、どうやら堆積された汚れのせいのようで、雪でぬれてところどころ汚れが落ちて明るい色が覗いている。

その光景に猫がかわいそうになり、抱き上げようと思って手を伸ばした。

(いくらなんでも、翌日そこに凍え死んでしまった猫の姿を見つけるのは忍びない。)



しかし、伸ばした手が触れるまであと少しというところで、不意に猫がこちらを向いた。

光の少なくない夜のせいでやや瞳孔の開いた黒っぽい瞳と視線が交差する。

その瞳には悲しみも恐怖も恐れもなく…

以前に一度見たことがあるような、懐かしい感覚を覚える。

たっぷり数秒見つめあうと、猫は予想以上にしっかりとした様子で、一声ニャアと鳴いた。

それに驚いて、思わず伸ばしていた腕をさっと引っ込める。

猫はそれを気にした様子もなく、多少足をふらつかせながらも、しっかりと四本足で立ち上がった。

(見た目以上に元気…なのか?)

それならば、下手に人間などが手を貸したりしないほうが良いに違いない。

一度自分以外のものに頼ることを覚えると、それがなくなったあとに、また以前のように一人で生きていくのは難しくなる。

そのときに味わう感情を(たとえそういったものを感じないのだとしても)、この猫には知らないままでいて欲しかった。



無理やり猫から目を逸らして立ち上がる。

頭の中を、暖かい我が家と、こんな日にまで入っている仕事で参っているはずのクリスへと切り替えると、

うっすらと降り積もった雪の上を歩き出した。

そうでもしないと、このかわいそうな猫を今にも抱き上げてしまいそうだった。



サクサクサクサク…

雪が周りの音を吸収して、普段よりも静かな帰り道を行く。

もうすぐしたらアパートが見えてくるはずだ。

アパートに着いたら、静かに部屋に入って、仕事をしているはずのクリスを後ろから襲って吃驚させてやろう。

それから2人でケーキを食べて、、、

幸せな光景を想像する。

アパートまであと少し。

…。

いけない。

後ろを振り向いてはいけない。

(自分のためとかそんなんじゃなくて、あいつ自身のためにも良くないことなんだ。)

必死で自分に言い聞かせる。



しかし、か細い鳴き声が再び聞こえた瞬間に、それまでの努力は水の泡となった。







後ろを振り向くと、声のした方へと視線を下ろす。

こいつが付いてきていたのは、ヴァンパイア特有の鋭い感覚で最初から分かっていたはずだった。

しかしそれでも、視界の中に少し危うい足取りながらも必死で付いてこようとしている猫の姿を認めた瞬間に、

なんだか胸の奥にぐっと来るものがあった。



俺が立ち止まって振り返ったことに気付いたのか、猫はまたにゃあ、と鳴く。

それがどことなく嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。



ようやく足元までやってきたので、猫の視線にあわせてしゃがんでやった。

猫は人間を恐れるといった様子もなく、人懐っこい様子で俺の足にまとわりついてくる。

しかし俺は、それをもと来た道のほうへと押しやった。

「ほら、さっさと行けって。」

通じないと分かっていながらも、ついつい声をかけてしまう。

それでも猫は擦り寄るようにこちらへとやってくる。

「…今逃げないと喰っちまうぞ。」

警戒する様子もなく懐いてくる猫に、最終警告をした。



にゃあ

まるで今の言葉に反応するかのように鳴き声が返ってきた。

それを聞いて、頭の中に古い記憶が蘇る。

--少し前まで続いていた争いのせいで、ほとんど崩れてしまった民家。

そこで出会った、まだ幼い男の子。

小さなクセに闇を怖がる様子もない。

喰ってやると脅したら、よっぽど腹をすかせていたのかグルル…と大きな音をさせた。



(クリス…)



その瞬間、なぜこんなにもこの猫のことが気になるのかを理解した。

全身を包む、少しくすんだゴールドの毛。

普通ならあるはずの恐怖や悲しみといった感情がない、澄んだ瞳。

そして、自分を全く恐れない様子…。

出会った頃のクリスと、驚くほど共通点が多いのだ。



そうと気付いたら、とてもこのまま見捨てていくなんてことは出来なくなってしまった。

「…お前はラッキーだな。

誰かさんに似てるおかげで、飯と寝床が確保できるんだから。」

相変わらず自分に擦り寄ってくる猫の頭を撫でて、そう小さく呟くと、

少し力を込めただけでポキリと折れてしまいそうなほど細い身体をゆっくりと抱き上げた。





















…ってなったら、連れてくるしかないだろ!!」

「な…っ!!」

マスターがやや自棄になりながらもそう主張するのを聞いて、かぁっと顔が熱くなるのを感じた。

きっと赤くなってるに違いない。

(最低だっ…!!)

格好悪いことこの上ない。

マスターにそんなところを見せるのがいやで、思わずうつむいてあらぬ方向へと目を逸らした。

大体、そんなことを言われてしまったら元に戻してこいなどと言えるわけないじゃないか。



追い討ちをかけるように、マスターが「な?」と嬉しそうに微笑んだ。